『隠された薔薇』
犬にも色々なタイプが居る。
ヴィラに拉致され、今までの生活から突然地獄に落とされる。
それでも生きていく為に、犬としてここでの生活に順応する者と、想像を絶する痛みや恐怖に狂ってしまう者や、逃亡を考える者。
そして絶望に打ちひしがれて死を考える者。
けれど逃げる事も、死ぬ事も出来ない犬にとって、ある意味狂ってしまった方が、ここでの暮らしはラクになるのかもしれない。
俺はトルソーの状態をチェックする為、パンテオン神殿に向かっていた。
「エンリケー! エンリケー!」
俺を呼ぶ声に振り返ると、アクトーレスが大きく手を振っていた。
「どうした? そんな走って」
「急いでポルタ・アルブスに戻ってくれ。パテルの犬が飛んだ」
「どういう事か説明しろ」
俺は今来た道を回れ右して、アトクーレスと戻りながら話を聞く。
「パテルがプラチナ犬を客に貸し出したんだが、犬がその客の所で自殺を図ったんだ。蘇生して命は取り留めたが」
「目を覚ましたら壊れてた・・と」
「まぁそういうこった。パテルが怒り狂ってさ、何としても元に戻せって」
「そんな大事なプラチナ犬なら、客になんか貸さなきゃいいんだよ」
「まったくだ。ただでさえハルは精神的に脆い所があるのわかってたのに」
「ハルって・・例の日本犬か?」
「あぁ、あの日本犬だ」
「それは楽しみだ。急ごう」
パテル所有のプラチナ犬のハルは、ヴィラに来てすぐ話題となった。
ハルの左側鼠けい部から内腿にかけて刺青がある。
でもそれはただの刺青ではなく、白粉彫りと言われるもので、普段は見えないのに、体温の上昇や感情が高ぶった時にだけ浮き出てくる特殊な刺青で、タツゥーなどとは比べ物にならないほど繊細で美しい。
白粉彫りは伝説と噂され、話で聞いた事はあっても、実際に見た事があると聞いた事はない。
それにこれを彫れる者が、今ではほとんど居ないと言われている。
その白粉彫りが、ハルの体に施されているのがわかり、一目お目にかかりたいと、ヴィラ中が色めき立ったのだ。
ポルタ・アルブスに戻ると、処置室に犬は居なかった。
「自殺を図った、プラチナ犬は?」
機材の片付けをしていた看護師に聞く。
「蘇生してからゲーゲー吐きまくりで、痙攣起こしてたんですけど、やっと落ち着いたんで、さっき特別室に移しました」
「ありがと。俺、先に行ってるから、その犬の資料持ってきて」
アクトーレスに伝えると、俺は急いで特別室へ向かった。
「さすが、パテルの犬だけあって特別室か〜」
一瞬ホテルかと見間違うほど豪華な部屋に、そっと足を踏み入れる。
プラチナ犬は、真っ青な顔してベッドで眠っていた。
余りの色のなさに、やっぱり死んじまったんじゃないかと、俺は恐る恐る口元に手をやり呼吸を確かめた。
「良かった・・生きてる。それにしても冷たいな」
その頬や額に触れると、生きてるとは思えないほど冷たかった。
「とりあえず、風呂にでも入れるか。体を温めないとな」
バスタブに湯を入れると、俺は犬を抱えて一緒に入った。
「ふぅ〜・・」
お湯に安心したのか、犬が大きな息をつく。
「やっぱり日本人は風呂が好きなんだな」
意識のない犬を背中から抱きしめ、俺は濡れた手で顔を洗ってやる。
「おっ! こりゃすごい♪」
お湯に浸かり体温が上がった犬の体に、薔薇と二匹の蝶が浮き出た。
「話に聞いてはいたが、これは見事だ」
俺はしばらく、その芸術作品とも言える刺青に見入った。
風呂から上がると、オムツをつけ、せっかく温めた体が冷めないように、しっかり毛布で包んでベッドに寝かせた。
「どれどれ・・」
風呂の間に届けられていた犬の資料に目を通す。
「ハルキ(春樹)ね・・それでハルか。日本には四季があるんだったな。
確か・・春・夏・秋・冬・・だっけか?」
俺は寝ているハルの横で、ブツブツ声に出して話た。
「あき・・」
突然ハルの目が開き、言葉を発した。
「おっ! ハルお目覚めかい?」
「あき・・」
「アキ?俺が言った季節の秋じゃなく、それは人の名前か?」
「あき・・」
ハルがもう一度そう言うと、その両目から涙が溢れ出し頬を流れた。
「あーダメだ。戻ってるのかと思ったけど、やっぱり壊れてる」
俺はガシガシと頭を掻くと、資料をパラパラと捲った。
「そのアキって言うのは、ハルの彼女か?結婚はしてないよな・・」
「あ・・き・・」
ハルはそれを繰り返すだけで、目は開いていたがどこも見ていない。
「まいったな」
俺はハルの担当アクトーレスに、部屋へ来て欲しいと電話した。
「アキって言葉に反応したんだが、資料にはそれらしい人物の名前は載ってないんだ。周りにアキって人間が居なかったか調べてみてくれ」
「『アキ』だな・・分かった。それでハルは何とかなりそうか?」
「わからん。貸し出された客の所で、何か酷い事されたのか?」
「いや・・特には。パテルが普段してる事と、たいして変わりなかった」
「ん〜・・じゃ客が原因でもないか」
「パテル以外の人が初めてだったから、部屋から出される時もいつも以上に怯えてはいたんだ」
「パテルには懐いてた?」
「懐いてたというか、ようやく慣れてきたってとこだった」
「出す時期が早かったって事か」
「おそらく・・連れて来られた時から、パテルが抱くとよく意識をシャットアウトして自分を守ってたよ」
「そうか・・」
「いつ壊れるか、いつもドキドキしてたんだが・・自殺するとは」
「それだけ思いつめてたって事だな」
「ハルには耐えられないって思ったよ。ここでの暮らしは」
アクトーレスは再び目を閉じたハルを心配そうに見た。
「とにかく『アキ』ってのが分かったら、何でもいいから教えてくれ」
「わかった」
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